原田 勇

今の若いもんは色々と経験してな、自分を楽しみに生きていかなあかん

したいことしたらえーと思うよ。

 

今回はお孫様より傘寿祝いとしてご利用いただいた原田さんにお話を伺いました。
祖父から孫への「やりたいことにどんどんチャレンジしていけ」という熱い想いを感じます、ご協力頂きありがとうございました。

お客様からのメッセージ

今年80歳になるおじいちゃんの話をいっぱい聞くことができて本当に良かったです。
いつか自分もおじいちゃんになった時、孫に堂々と語れるような後悔しない人生を歩もうと思いました。

生まれも育ちも大阪出身

・じいちゃんはどんな家庭環境で育ったん?

親父はガラス職人でお袋は市場で働いて家計を支えてた、5人兄弟の三男で生まれも育ちも大阪や。

・お父さんとお母さんはどんな人やったん?

職人の親父は時代が流れて徐々に仕事が無くなってんけどな、職場を変えても最後までガラス職人を続けた昔気質の男やった。
お袋はしっかり者でよく俺の話を聞いてくれた優しい母親やったね。


戦争の恐ろしさ

・戦争のことって覚えてる?

そら覚えてるよ、空襲のサイレンが鳴ったら家の前に掘ってた防空壕に入るわけや。
艦載機ゆうて大きな船の上に積んだ飛行機がどんどん飛んできてな。
京橋に軍事工場があったからそこを狙われて機関銃と爆弾やら油が入った焼夷弾を落とされるねん。

すごかったよそりゃあ、昼前やのに空が煙で真っ暗になってな。
一瞬で晩になってほんまどないかなってしもたよーな感じになるんやで。


政府が子供を増やせ!と言った時代

・じいちゃんが子供の時は学校の生徒とか多かった?

1クラスに生徒が約50人、1学年に13クラスもあるんが当時は当たり前やったな。

・仲良かった友達とか今でも覚えてる?

中学校の時から、亀井と大平が仲良かったね。
毎朝亀井が家まで迎えに来て自転車で二人乗りして一緒に学校通ってたなー。

大平とは一番仲良くて中学卒業後もやり取りがあった。
電気屋で働きながら画家としての活動もしていた大平から絵具代にでもなればと思って買った絵が今でも二階に飾ってあるよ。


中学校卒業後、すぐに証券会社に入社

・当時は高校に進学する人は少なかったの?

せやなぁ、6割くらいの生徒が就職して残り4割くらいの生徒が高校に進学してたんかな?
普通はみんな中学校卒業してすぐ働いてたよ。

・そーなんや、当時の仕事はきつかった?

その年の入社がじいちゃん一人やってな、当時は制服も無くて学生服のまま仕事してたよ。
入社してから二年くらいは朝一番に入社して掃除したり、寒い中先輩達が出社する前にストーブに火を焚いて温めてたりしてな。

とにかく辞めんと働くことしか考えてなかったからもちろん遅刻なんか一回もせんかったよ。
しんどいなんて言う暇も無く毎日必死で働いてたね。


当時のおじいちゃんを支えた目標

会社までは毎日駅まで歩いて電車に乗って通勤してたんやけどな。
実家から駅まで歩く間に家を売ってる周旋屋を見つけたんや。
当時じいちゃんも中学出てすぐ働き出してな「俺はいつかこーゆう家を必ず買う!」て決めたんや。

それから毎日会社行くときに周旋屋を見て、風呂付のこんな家を絶対買うって目標持ちながら働いた。
家族7人で住んでた長屋には風呂が付いてなかったから尚更風呂付の家に憧れてたんや。

ほんで頑張って30歳の時にやっとこの家を買えたんよ。


最愛の妻さなえとの出逢い

・ばあちゃんとはどこで知り合ったん?

さなえとは同じ職場やったけど、事務仕事をしてたから初めの二年間は関わりも全く無かったんよ。
中学の時から女の子と関わりなんか一切無かった。
ものゆーたこともないし家帰っても男ばっかりやから女の子と何話していいかも分からんかったわ。

さなえがよく一緒に難波のアイススケートに行く友達がおってな。
その子からじいちゃんの事を聞いたさなえはこっそり俺の部署に見に来てたみたいや。

・え!?ばあちゃんからアタックしてきたん?

せやで、さなえ俺にものすごい惚れとったんやで(笑)
二年くらいしてからフェスティバルの券があるから一緒に行こ!ゆわれて初めて一緒に出掛けたんや。
喫茶店行って面白いことゆーたりしてな、それから毎週土曜日なったら行こか~ゆう感じで二人で映画をよく見に行ったわ。

付き合いましょうもプロポーズも無かったけど、さなえは21歳くらいの時に花嫁修業の為に仕事を辞めた。
そん時も金は無かったけどな「絶対に俺が幸せにしたろ!」と思ったんや。


2人の息子に恵まれる

・じいちゃん出産の時は立ち会ったりしたん?

あの時代は立ち会いなんて無かったからから側おったらどこ来てますねん!ゆうて看護婦に怒られるがな(笑)
当時は生まれるまで性別も分からんかったからな、とにかく俺は男の子二人が欲しかったんや。

ほんで病院駆けつけた時に男の子て分かってそらめっちゃ嬉しかったで!


幸せを感じた瞬間

・じいちゃんが80年生きてきて一番幸せやったのはどんな時?

俺はね、一番幸せやったと今でもいつも思い出すのは、まだ達雄(息子)が小さい時やねん。
会社まで電車で通ってて階段おりたら、さなえが乳母車に達雄を乗せて迎えに来てくれてな。

ほんで手を繋いで一緒に帰った思い出がもぉ一番幸せやわ。
結婚してから子供できたとか色々あるけどな、いまだにあの時の光景が今でも100%一番幸せやわ!


したいことしたらえーんや

じいちゃんは「とにかく家族の為に働く」ってゆう考えを大事にして生きてきたんや。
それして頑張ってきて良かったと思ってるし幸せやった。

でも若い時はもっと色々やっといたらえぇと思う、じいちゃんそこは後悔してるねん。
せやからお父さんも言うように今の内にしたいようにさせといたらえーわと思ってるけどな。
それでえーと思うよ、やりたいことやっとき!

今の若いもんは色々と経験してな、自分を楽しみに生きていかなあかん。
したいことしたらえーと思うよ。

こちらのページはご家族のやりとりを一部抜粋させて頂き、編集したものです。